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日本のゲーム産業を築き上げた人物の一人、元・ナムコ会長の中村雅哉氏が1月22日に91歳で死去していたことが、バンダイナムコの公式サイトで発表された。

1955年、中村氏はナムコの前身である中村製作所を設立。77年に中村アミューズメントマシン製作会社の英名略号であるナムコと改称、2005年にバンダイと合併。

第二次大戦後数十年の間、日本においては百貨店の屋上にしばしばコインで動く乗り物やアナログゲームが設置されていた。中村氏の事業はそうした遊具の製作からスタートした。

1970年代後半から80年代初頭には、ギャラクシアン、ギャラガ、ポールポジション、ゼビアスのようなアーケードゲームがヒットし、ナムコは急成長。その中でも、パックマンはナムコのみならず、日本のゲーム産業における最も重要な商品の一つとなった。

中村氏は2007年、旭日章を受章している。

 

海外の反応

 

・涙を禁じ得ない…あなたは伝説だった。安らかに。

 

・鉄拳シリーズが大好きだ。今もコマンドを覚えてる。悲しいニュースだ。

 

・子供のころから、ナムコが人生の一部だった。それは喜びだった。中村さんのおかげだ。

 

・私たちにたくさんの笑顔をもたらしてくれた人。逝去は深い悲しみだ。

 

・とても充実した人生を送られましたね。

 

・大往生じゃないか。自分は彼ほど長く生きられないだろう。

 

・彼の功績はゲーム産業にとって非常に大きなインパクトだった。なんということだろう。

 

・アリガトウ、友よ。

 

・ゲーム界の偉大な開拓者に敬意を表します。

 

・彼はアーケードゲームのレガシーを築いた。ディグダグはいつ遊んでも面白い。

 

・初めてギャラガとパックマンをプレイした時、夢中になったのを思い出す。

 

・ご遺族、ご友人、チームの方々にお悔やみ申し上げます。東映が彼をたたえるだろう。仮面ライダーのガシャットはナムコの古いゲームがヒントだから。

 

・テイルズ・オブ・デスティニーが最初に出会ったRPGだった。ありがとうナムコ。

 

・ナムコのグラフィックデザインを見て、クールってこういうのを言うんだと思ったんだ。ナムコに就職するのが夢だった。今は東京の小さな会社でVRのプログラマーをやってる。

 

・ゲームオーバー、プレイヤー1。

 

 

・彼の魂は今でも燃えている。彼はこの世の中をより楽しいものにしてくれた。

 

・パックマンは、ゲームキャラがアイデンティティを持った最初の例。ゲームのヒットから、パックマンの玩具、アニメ、朝食シリアルまで作られたのは当時驚きだった。

 

・今の気持ちを表すのにふさわしい言葉が見つからない。ただワキャワキャワキャ…というパックマンの効果音だけがいつまでも脳裏をよぎる。

 

・中村雅哉、デザイナーとして、事業家として、あなたの名を生涯心に刻みます。

 

引用:http://kotaku.com/namcos-founder-has-died-at-age-91-1791768067

戦後の日本に、そして世界に、夢と笑顔を与えた人物がまた一人…現役クリエイターの皆さん、どうか中村氏やパックマンのように貪欲な姿勢で市場に挑戦し続けてください。合掌
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【海外の反応】ロコロコニュース

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1コメント

  • パックマンは株式用語にもなったんだよね。

    パックマン・ディフェンス
    買収を仕掛けられた時に会社を守るための方法のひとつ
    ”買収を仕掛けてきた相手を、反対に買収してしまう”こと。

    敵に追いかけられるパックマンが、パワーエサを食べることで
    逆に敵を食えるようになることから名づけられたとのこと。

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